御殿山ハウス

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日本に、世界に繋がる都心邸宅地、御殿山。

日本に、世界に繋がる都心邸宅地、御殿山。

開発エリア

2020年を睨み、真のグローバルシティを目指した都市改造を加速させる東京。
その中にあって、いま品川は確実にその重みを増している。
近い将来、国内外への新たな玄関口としてアクセスパワーが増強され、
大規模都市開発によりその機能がさらなる進化を遂げていく。
そんな大きく飛躍しようとする都市の懐の中で、
変わらぬ安息を保ち続けているひとつの邸宅街がある。それが御殿山。
江戸時代より続く由緒、高輪台地突端の高台の立地、
都心6区にわずか約4.8%※1しか存在しない第一種低層住居専用地域、
大使館や美術館のある閑静な住環境…。
これら、邸宅地としての確たる資質を備えながらも、交通の要衝に接し、
豊かな将来性を背景とする希有な地、御殿山。
その価値を掌中にする住まいこそが、「御殿山ハウス」に他ならない。
※1 千代田区、中央区、港区、新宿区、文京区、渋谷区の総面積約8,600haの内第一種低層住居専用地域は約410haのみ
(公益財団法人特別区協議会ホームページ内総計資料より算出)

立地概念図
立地概念図 ※周辺の建物は省略しております。また、建物の高さや位置、距離、方位、深さは実際とは異なります。

桜の名所から、杜に包まれた邸宅地へ。

品川は東海道最初の宿場町であり、「品川湊」として江戸の玄関口であった。
徳川家康はこの品川宿を見下ろす高台に、参勤交代で江戸に来る大名を
自らが饗応するための「品川御殿」を建てた。これが御殿山の由来である。
やがて御殿山には吉野桜が植えられ、
風光明媚な庶民の行楽地に変貌していく。
江戸時代、御殿山には広壮な武家屋敷が建ち並んでいたが、
明治に入りそれらの地所は、都心への近さと高台の安定した地盤、
交通の要衝という利便性といった資質を見出され、
日本近代を担う政治家や財界人に継承されていくのである。
葛飾北斎『富嶽三十六景』の「東海道品川御殿山ノ不二」(1832年)
葛飾北斎『富嶽三十六景』の「東海道品川御殿山ノ不二」(1832年)

明治の大豪邸の系譜を継ぐ、広壮なる場所。

  • 「開東閣」から「御殿山トラストシティ」、「御殿山ハウス」に至る壮大なる緑の連なり。”御殿山の杜”と呼びたくなるこの風景は、明治から続く広壮なる地所が、まとまった敷地として現代に継承されてきたものである。かつて「開東閣」は三菱財閥・岩崎久弥の、「御殿山トラストシティ」は銀行家・原六郎の、そして「御殿山ハウス」現地は三井財閥・益田孝の私邸であった。益田孝は鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルを起用し、普請の贅を尽くしたという。大実業家のステイタスに満ちたこの地に端を発し、御殿山は押しも押されぬ邸宅街としての地位を確立していった。
  • 岩崎邸、原邸、益田邸が並ぶ昭和8年当時の御殿山<br>(内山模型製図社『品川区全図』より)

    岩崎邸、原邸、益田邸が並ぶ昭和8年当時の御殿山
    (内山模型製図社『品川区全図』より)

  • 現地周辺の航空写真(平成26年11月撮影)<br>※航空写真にCG処理を施したものであり実際とは異なります。

    現地周辺の航空写真(平成26年11月撮影)
    ※航空写真にCG処理を施したものであり実際とは異なります。

周囲と一線を画す、美と緑の住環境。

すべてを支配する落ち着き、風格ある大使館や私邸、街を覆う緑陰。
そこを歩く住民も心なしか誇り高く映る。高輪台地の突端に位置し、
山手線の内側では希少な第一種低層住居専用地域として、
落ち着きある住環境が守られた御殿山。
そこにはまた、数々の暮らしの贅がちりばめられている。
ダイニングやサロンとして身近に利用できる東京マリオットホテル。
気が向けば原美術館で最先端のモダンアートに触れられる。
ミシュラン三つ星店などグルメの愉しみも多い。
この街は、いつも大きな歓びで心を満たしてくれる。 

現地周辺地図

御殿山トラストシティ(約160m/徒歩2分)

紅葉の御殿山トラストシティ(約160m/徒歩2分)

※掲載の写真は平成26年6月と12月に撮影したものです。